2025
08/05
ラオスのUHCに向けた取り組みとミャンマーでの予期せぬ出来事
-
国際医療
-
海外
~支援者は、よく聞き、相手の立場を考えて~
海外で活躍する医療者たち(45)
サービス、人材、財政――5つの支援と健康保険の課題
――入局してからこれまでの活動を教えていただけますか。
宮野 協力局に入局したのは2008年です。それまでは、臨床医としてのキャリアが中心で、公衆衛生や国際保健の経験はありませんでした。そこで、日本の公衆衛生の現場を学ぶために、入局後すぐに厚生労働省に派遣され、1年ほど日本の結核対策を担当しました。 厚労省から戻った後の2010年から2013年には、JICAのプロジェクトでザンビアに赴任し、HIV/エイズの予防・診断・ケアの強化に取り組みました。その後、国内業務を行っていたのですが、2015~2018年までWHOのパプアニューギニア事務所に医官として勤務し、結核やHIV、ウイルス性肝炎などの感染症対策に携わりました。
そして、2019年から2年間ミャンマーへ、JICA感染症対策アドバイザーとして赴任しました。薬剤耐性(AMR)対策を中心とする感染症検査ラボおよびサーベイランスの強化が目的でしたが、COVID-19や軍事クーデターにより、計画していた活動は大きく制限されてしまいました。
――その後、ラオスに赴任されたのですね。
宮野 はい。ラオスには2023年から2025年5月まで、JICA保健政策アドバイザーとして赴任し、保健省の政策策定やその実施の支援を行いました。ラオス政府は、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の達成を目標に掲げており、そのために「保健サービス」「保健医療人材」「保健財政」「モニタリング・評価」「ガバナンス・調整」の5つの分野の充実を目指しています。
私は保健省の保健政策アドバイザーという立場で、「保健財政」「モニタリング・評価」「ガバナンス・調整」の3つに重きを置いて支援していました。
――重きを置いていたという3つの支援活動について教えていただけますか。
宮野 簡単に紹介しますと、「保健財政」では、ラオスの国の予算、外部支援機関(JICA、国際機関、ドナー国など)から流入している資金の全体像を把握し、限られた資金が特定の分野への偏りや重複なく、効率よく配分されるように見える化する支援をしました。
そして「モニタリング・評価」では、それぞれの施策が実際に成果を出しているかどうか、指標に基づいて評価し、必要なアクションを検討しました。
最後の「ガバナンス・調整」では、保健省が主体的に政策を進められるよう、保健省内の部門間の連携を促すとともに、JICAなど外部支援機関との協働が円滑に進むよう調整支援をしました。

ラオス・タイ両国の保健省による国民健康保険データ活用に関する合同ワークショップ
――ラオスには国民健康保険制度があるそうですが、これは「保健財政」の分野に入るのでしょうか。 先生はこの保険制度に関しては、どのような支援を行ったのでしょうか。
宮野 はい、「保健財政」の分野に入ります。ラオス国民が健康保険制度を利用し、自己負担を抑えつつ、必要なときに医療機関で医療サービスを受けられるよう、制度の円滑な運用に向けた支援を行いました。具体的には、関連法令の改正、保険制度に関わるデータシステムの整備、関係スタッフの能力強化などに取り組みました。
――どのような制度なのでしょうか。
宮野 大きく2つの保険料の納付の仕方があって、1つは、政府機関や民間企業に勤務している人たちが給与天引きで納付するというものです。この人たちは、保険を利用して医療機関を受診することができます。
もう1つは、農家や自営業といった個人事業者からの保険料納付ですが、個人事業者を登録する仕組みが整備されていないため、保険料が徴収できません。 しかもラオスの労働人口の約7~8割がこの個人事業者に該当しています。そのため、個人事業者の保険料は政府の税収で賄われる設計となっていますが、そもそも国民から税金を徴収する仕組みが十分に発展しておらず、税収は不安定です。加えて、税金は保健分野だけでなく、教育やインフラ整備などの分野にも配分しなければならないため、健康保険制度に十分な資金が割り当てられないことも少なくありません。その結果、個人事業主が医療サービスを利用する際の自己負担額が高くなり、必要であっても医療機関の受診を控えるケースも見られます。
国民健康保険制度の基本的な仕組みは着実に作り上げられてきたのですが、その運用についてはまだまだ解決すべき課題がある、というのがラオスの現状です。
穏やかな暮らしと「ボーペンニャン」
――ラオスでの生活はいかがでしたか。
宮野 私は、首都ビエンチャンにあるアパートに住んでいました。首都といっても高層ビルは少なく、街の雰囲気ものんびりしていて、穏やかで過ごしやすい環境でした。フランス統治時代の名残もあり、パリの凱旋門を小ぶりにしたような凱旋門や、コロニアル建築の古い建物が点在していました。治安も比較的よく、ビクビクしながら外出するということはなかったです。

ラオスの凱旋門 パトゥーサイ
昼食は、保健省近くの屋台でうどんのようなカオピアックやベトナムにもあるフォーを食べることが多かったですね。ラオスはコーヒーの産地でもあり、午後の仕事の前に、カフェでおいしいコーヒーを買うのが日課のようになっていました。フランス統治の影響で、パンが美味しいのも魅力でした。
ラオスの人々はあまり自炊をしないため、屋台文化が根付いています。夜になるとアパートの前にも屋台が並び、夕食はテイクアウトすることが多かったです。
インフラについても、停電や断水はたまにあるものの、大きな支障を来すほどではありません。もちろん日本とは比較になりませんが、これまで赴任した国の中ではかなり良い方でした。

ラオスの麺料理 カオピアック
――「ボーペンニャン」という言葉をよく使うと聞いたのですが。
宮野 そうですね。日本で暮らしていると、予定通りに物事が進まなかったり、電車がちょっと遅れたりするだけで、すぐイライラしますよね。でもラオス人なら「ボーペンニャン」、つまりNo problem なんです。急に起きた物事をありのまま受け入れて、右往左往しない。それが、社会の穏やかさや、人に対する温かさにつながっているような気がします。
もちろん「それ、ボーペンニャンじゃないよ」と思うこともありましたが、私は総じてこの言葉をポジティブに受け止めていました。
ラオスの人たちは、真面目で、偽りなく、一生懸命に仕事をします。多少ゆっくりしているところはありますが、私は彼らの仕事を手伝いに行っているのだから、そこで私がイライラするのはおかしい。私自身も「ボーペンニャン」と自分自身や同僚達に言うことが多く、ドクターボーペンニャンと呼ばれることもありました(笑)。
パンデミックとクーデター
――ミャンマーでの活動についても聞かせてください。ちょうどCOVID-19が広がり始めた時期ですよね。
宮野 私が赴任したのは2019年8月でした。2019年12月頃から中国でCOVID-19の感染が広がり始め、2020年の1月末、ミャンマーでも保健スポーツ省からミャンマー国内で活動するパートナーにその対応に対する支援協力依頼のための招集がかかりました。私が感染症の検査診断を扱う国立衛生研究所へ赴任していたことから、ミャンマーでもCOVID-19の診断検査ができる体制を整備する支援をすることにしました。日本の国立感染症研究所が文書化した診断検査手順書を活用し、またちょうどミャンマーにいらしていた順天堂大学の検査専門家に現地スタッフを指導していただきながら、並行して私は、検査に必要な資材や試薬の調達を行いました。検査体制を確立し、診断検査サービスを開始したのが2月20日頃、そしてミャンマーで最初の感染者が検査診断されたのは、3月20日頃だったと思います。
さらに、ミャンマーでは、医療従事者の多くがPPE(個人防護具)を着た経験がなかったため、現地語での着脱動画を制作して全国に配布し、オンラインで研修を行いました。 もっと支援を続けたかったのですが、私は2020年4月末に一時帰国しました。もし日本人の専門家が感染すると現地の医療に大きな負担となるため、全世界から私のような専門家を引き上げるというJICAの方針になったからです。
その後、私がミャンマーに戻った8月頃には感染者が急増していたため、診断検査体制の地方部への拡充や、迅速診断検査キットを活用した検査の効率化などを支援しました。
――軍事クーデターも経験されましたね。
宮野 はい。あの時のことは、今でもはっきり覚えています。ミャンマーは、周辺国では最も早くワクチン接種を始めました。まずは医療従事者に対する優先接種が2021年1月末から開始され、始まって最初の金曜日にラボの同僚たちがワクチンを接種し、この接種が国民にも広がれば感染拡大を抑えられるかなとCOVID-19対応で疲弊していた気持ちの中、少し明るい期待を抱きながら週末を過ごしました。そうして迎えた週明け月曜日の早朝に軍事クーデターが起きたのです。
医療従事者は「軍のために公共の施設では働けない」と反発し、私が支援してきた診断検査を含む公的医療サービスは全て停止してしまいました。検査もできないので誰が感染しているか分からず、隔離などの対策が取れないため感染者が一気に増え、酸素の奪い合いになる、というひどい状況に発展していきました。
私たちは、それまで一緒に仕事をしてきたカウンターパートとすら接触が制限され、ODAとしての活動を続けられなくなり、日本に帰国することになったのは2021年4月頃だったと思います。
帰国後は、2022年2月まで、ユニセフやWHOを通じて、現地のNGOなどにオンラインで支援を続けました。
クーデターによって、それまで積み上げてきたものが全て壊され、ゼロ以下になってしまった、あの無力感は忘れられません。
まず一歩踏み出して!
――医療従事者として、どのようなことを心掛けていますか。
宮野 「話をよく聞き、それを基に相手の立場を考えて支援する」ということを常々心掛けています。 国によって価値観も文化も状況も違いますから、日本の感覚をそのまま持ち込んでは支援できません。まず相手の話を聞き、その上で自分の意見や解釈を述べて、また相手の判断を聞いて――ということを繰り返しながら進めていくのが支援者の仕事ですし、それによって信頼関係も築けると思います。海外での支援に限らず、日本国内での活動であっても、相手のことを考えながら支援するという姿勢は大切だと思います。
――最後に、読者へメッセージをお願いします。
宮野 国際協力に興味があるなら、まず一歩踏み出してみてほしいですね。国際協力には、ODAや国際機関を通じた支援だけでなく、より現地のコミュニティーに近い立場であるNGOやCSOを通して関わる方法、課題を調査・分析して解決に導くための研究を通して関わる方法、社会貢献型のスタートアップを通した方法など、さまざまな関わり方があります。海外で長期、短期で活動するだけでなく、日本国内にいる外国人の健康格差の問題など、国内でできる国際的な支援もありますし、高齢化や生活習慣病など日本が先んじて経験している課題への対応は、国際協力でも役立ちます。
自分が突き詰めたい研究からでも、得意な分野からでも、ワクワクすることでも、まず国際協力の世界に飛び込んでみてほしいと思います。
ラオス人民民主共和国
●面積:24万㎢
●人口:758.2万人(2023年、ラオス統計局)
●首都:首都ビエンチャン
●民族:ラオ族(全人口の約半数以上)を含む計50民族
●言語:ラオス語
●宗教:仏教
(令和7年6月16日時点、外務省ウェブサイトより)