2025
05/09
がんの痛みの緩和ケア① 医療用麻薬をどう考えるか
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緩和ケア
日本緩和医療学会緩和医療専門医。日本緩和医療学会代議員・日本死の臨床研究会代議員。
一級建築士、技術士(都市計画)の資格を持つ異色の緩和ケア医。現在は緩和ケア病棟(設計)の研究のため、東京都立大学大学院都市環境科学研究科建築学域に在籍中。
「緩和ケア」の現状と課題(5)
緩和ケアの分野では、がん患者の痛みに関して相反する2つの主張があります。
一つは「がんの痛みの多くは『緩和ケア』でもっと楽になる、がん患者が痛みで苦しんでいるのは『緩和ケア』が十分に行われていないからだ」という主張、もう一つは「がん患者だからといって、やみくもに痛みを取り切ればいいわけではない」という主張です。
医療用麻薬の積極的使用により、がん患者の痛みを和らげる
がん患者に対する医療用麻薬の使用が少な過ぎる、という指摘があります。
先進国の中でわが国の医療用麻薬の消費量が極端に少ないことは、国連(国際麻薬統制委員会)のデータで明らかになっています。また、厚労省資料によれば、人口当たりの医療用麻薬年間消費量は都道府県によって約2倍の開きがあり、都道府県間のがん罹患率にそこまでの差はないので、医療用麻薬の消費が少ないわが国の中で、さらに使用が進んでいない地域があることが示唆されています(厚労省資料は手術での消費を含み、近年使用が増加しているヒドロモルフォンを含まずに計算しているので、がん患者の医療用麻薬の消費動向を正確には反映していませんが、それを加味しても地域差があるのは間違いないと思われます)。そして、それぞれの地域の中でも、医療機関によって医療用麻薬の使用の程度に差があることは、関係者であれば誰もが想像できることです。 医療用麻薬が必ずしも十分にがん患者に使われない理由の一つが、がん患者さん、ご家族、そして医療者の間にある医療用麻薬に対する誤解や不安、そして偏見だといわれています。「麻薬はちょっと……」という患者さんは私の緩和ケア外来にも大勢来られます。さらに加えて、痛みを我慢することを美徳と考えてしまいがちな文化風土も影響しているかもしれません。
医療用麻薬はがんの痛みの多くを和らげます。医療用麻薬のレパートリーも(昔は麻薬といえば「モルヒネ」でしたが)格段に増え、患者さんの病状などに応じていろいろ選べるようになりました。がんの痛みを和らげることはQOL(日々の生活の質)を改善し、患者さんや家族の「日々の生活を取り戻す」ことが期待されますし、がん治療を続けていく支えにもなります。
したがって、もし誤解や偏見などが原因となって医療用麻薬が使われていないのであれば、この障害を取り除かない手はありません。
医療用麻薬使用の抑制により、不適切使用を防ぐ
がん治療の進歩で、がんサバイバーと呼ばれる、がん経験後も長期に生存できる患者さんが増加しました。わが国の5年相対生存率は、1993~1996年にがんに罹った患者さんで53.2%であったものが、2009~2011年にがんに罹った患者さんでは64.1%、つまり15年くらいの間に1.2倍になっています。
これ自体はとても良いことですが、一方でいろいろな問題も持ち上がりました。その一つが医療用麻薬の不適切使用のリスクの増加です。
がん罹患が長くなれば医療用麻薬の使用も長期化し、それだけでも不適切使用のリスクは増えます。しかしそれだけではありません。がんサバイバーは、治療や症状の苦痛、日々の生活や将来の不安。そして社会の偏見、孤立の中で生きており、この結果、がん患者は一般集団より心理的苦痛の割合が高くなるとされます。精神的な脆弱さは時に医療用麻薬の不必要な高用量化を来し、がんとは関係のない痛みの緩和への流用をもたらし、終には痛みではなく気持ちのつらさや不眠の解消などに使われるケースも出てきます。がんサバイバーは一般の人々に比べて医療用麻薬の乱用のリスクにさらされていると言っても過言ではありません。 もちろん、がんサバイバーが常に薬物依存になるわけではありません。しかしそのリスクにはしっかりと目を向ける必要があります。
WHOが1986年に「Cancer Pain Relief」を発表して以来、緩和ケア医たちは、がん患者を痛みから解放(“Relief”)するために、しっかりと医療用麻薬を使うことを心掛けてきました。厚労省や学会など関係機関も、前述の誤解の解消など、医療用麻薬使用の障害の除去に努めてきました。
しかしWHOは2018年にガイドラインを改正し、「患者を痛みから解放する」から「受け入れられるQOLに至るまで痛みを和らげる」に目標を修正しました。今、わが国の専門家の間でも、医療用麻薬の使用は「がんの痛みを消し去ること」を目的とはしないというコンセンサスがあります。痛みはやみくもに取り切るのではなく、生活に支障がないという程度にとどめる―医療用麻薬の使用は実質的に抑制されるようになっています。 医療用麻薬をしっかり使えばがんの痛みはもっと取れるのに、その使用を抑制することの理由の一つは、前述のように医療用麻薬を長期使用する頻度が増えていることへの対応ですが、この他にこうなった重大な背景があります。次回は、この背景についてお話しさせてください。
注:先進諸国及び我が国の都道府県別医療用麻薬消費量、我が国のがん患者の5年相対生存率は「がんの統計2024」(公益財団法人がん研究振興財団刊行)に記載されたデータ等を参考にしました。